「窮鼠猫を噛む」という言葉は皆さんもご存知ですよね。
2020年10月上旬、5〜6年前にご相談頂いた患者さんから水戸のある歯科医院とのトラブルで裁判を起こし、弁護士対弁護士の話し合いになった件の終了報告が患者さんから連絡があった。
患者さん曰く、「内容や結果には満足や納得はできませんでしたがもう本当にスッキリしました」と。。
その間もきちんと他の歯科で口腔内もリカバリー治療され、今では毎日美味しく噛める様になった。
本当に病的な患者さんならば裁判(負)に精力を注ぎ、治療という本来の目的を忘れてしまうのだが、この方はきちんと治療も行って噛める様になったから本当に良かったと思う!
この案件の本当の問題点とは?
今回の様な件の本当の問題点は何だろうと考えてみた。
細かいトラブルは正直どこの歯科医院でも起こりうる。
その大半は歯科医師側の「説明不足」と患者さん側の「勘違い」、「聞き間違え」が殆どなので、細々したものは、多少面倒であっても歯科医師側が患者さんに対して誠意を持って対応すればほぼ回避できる。
だが、それをプライドを傷つけられたと歯科医師が解釈し、徹底抗戦するとかなりややこしくなります。
早い時点で問題を対処しなければやがて傷口は大きくなり、無駄な時間と精神的負担がのしかかってきてしまいます。
たとえそれに耐久できる鉄の心(アイアンハート)と財力を歯科医師の先生が持っていたとしても、今はネット社会。
話に尾びれ背びれがついて拡散したらどうなる事だろう??
そっちの方がデメリットが大きいのがお分かりいただけるだろうか?
たとえ歯科医師の先生が、「僕が正しいんです!」「本当は違うんです!」といくら言っても取り返しがつかないのです。
目の前の事だけでなく、患者さんはもちろんの事、歯科医院に出入りする業者(歯科材料屋やメーカー担当者)などいろんな人からの評価にも目を向けなければいけないのが地域密着型開業医の宿命だと思う。
ほとんどの案件は事前に防げる
歯科で起きるトラブルのほとんどの案件は事前に防げる。
「損して得(徳)を取れ」を解っていれば、、、、の話ですが。
特に、東京や大阪などの都心部ではない地方(田舎という表現が適切かどうかわかりませんが・・・・)であれば、地域の話題拡散を考えれば勝つ事(白黒つける)に執着する事が本当にメリットなのだろうか?
一度そういったいメーイジがついてしまえば後々の歯科運営に関わってくる。
もちろん戦わなければいけない時があるのもわかる。
そんな事をするよりも、問題を起こさない事が大事なのである。
軽度の状況から「恨み(怨み)」になると大変
良くある「困った。どうしよう」の状態から「あいつ絶対に許せない」の流れ。
怒りから恨みになると、負のエネルギーはどんどん巨大化してしまいます。
今回のケースだけでなく、これらのほとんどの水戸の歯科医院の裁判案件は、歯科医師側から患者を追い込み恐怖を抱かせ恨みを買った事である。
いくら司法の場で勝とうが、裁判が起こった(患者さんから訴えられた)という事実は残ってしまうからである。
軽度の状態で拡散するよりも、事実が拡散される方が歯科運営上ツラくなります。
1件訴えられれば歯科医院は潰れる!と慎重に対応する歯科医院がほとんどです。あっても10年に1〜2回程度です。何を言っても聞かない患者さんがほとんどで、恨みつらみには発展しないケースばかりですが・・・
特に裁判所で患者さんや、患者さん側の弁護士が過去の裁判案件を調べるケースも出てくるでしょう。もし同じ様な内容の裁判案件がズラズラと数が出てきてしまったらどうなる事でしょう?
累積が多ければ「どうやら過去にもかなりの患者さんから訴えられてるみたいですね〜」となってしまいます。
理由はどうであれ、怨みを向けられてロクな事がありません。
患者さんに対しては普通で良い
治療である限り患者に媚を売ったり調子の言う事は必要無いと思うが、へりくだる必要はあるかと思う。
言うならば「寄り添う」と言えば良いのだろうか?
上記に書いたトラブルの原因問題以外には、患者さんに対し偉そうに言ったり、説明を端折りしたり、高圧的に言った時に多く起こるからである。
偉そうに言ったり高圧的になってしまうと、問題が起こった時に引くに引けなくなり間違ったゴールに突っ走らなければいけなくなるという人もいる。
それがどれだけのデメリットを生じさせるのか?
これは関わる人が誰も喜ば無いですよね。
関わる人がみんなが喜ぶのが本当の医療だと考えます。